辺野古の歴史

History of Henoko

辺野古は那覇より67km、名護市街地から南東へ12kmの沖縄本島東海岸に位置する総面積10.83km²の部落です。
戦後間もない昭和23年頃には戦前の集落形態に復興し、140世帯、634人の、海辺の長閑な農村集落でした。 

1948年頃の辺野古の集落 1948年頃の辺野古の海岸線 基地接収前の集落・思原・下福地・長崎原・港原一帯(1956年) 1956年 辺野古ダム・思原(現・シュワーブ一帯)・ヤニ浜 1956年 1956年 1956年 1962年頃の辺野古 1965年 1965年 1956年 1965年 1956年 1965年 1936~37年頃の辺野古青年団 仲門家木造建築風景(1935~36年頃 棟梁知念良晴) 上部落初の住宅建築(与座文雄家)(1957~58年頃) 水道開通式 1957年 1960年代の下部落宅地造成 旧6月 ウマチ カミンチュのうむり 旧6月 ウマチ カミンチュのうむり 第1回合同祝 青老会(婦人) 1964年頃の辺野古青年会 第1回全島エイサー大会 第1回全島エイサー大会 第1回全島エイサー大会の辺野古青年会

キャンプシュワーブ

農村であった辺野古は、基地という経済基盤の元に地域開発を進めるために、有志会では軍用地契約に踏み切り、昭和32年に基地建設が着手されました。

基地のゲート

  

基地内のビーチ

アップルタウン

アップル少佐


基地建設の着工を機に新しいまちづくりの機運が高まり、昭和33年に上集落のまちづくりがスタートしました。このまちづくりにおいて多大な協力をしてくれたアップル少佐に因んで町名が「アップル町」と命名されました。その後、この開発によりまちは急成長し昭和40年には309世帯、2,139人の規模となりました。